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このページの情報は 2006年5月2日20時22分 時点のものです。 |
美空ひばりは終戦間もない昭和20年、8歳で初舞台を踏んだ。のちに伴淳三郎一座に参加したが、美空ひばりの芸名は、そのとき伴淳三郎が命名したといわれている。
昭和24年には「河童ブギウギ」で歌手デビュー、「悲しき口笛」が大ヒットして、同名の映画にも初主演を果たした。
昭和30年には、江利チエミ、雪村いずみと「三人娘」を結成して人気を博した。その後も「波止場だよ、お父ちゃん」「港町十三番地」などのヒットを飛ばし、昭和35年には、「哀愁波止場」でレコード大賞歌唱賞を受賞して、歌謡界の女王と呼ばれるようになった。
その後小林旭と結婚するが、2年ほどで離婚。その直後に発表した「柔」は180万枚の大ヒットとなった。
「真っ赤な太陽」「悲しい酒」「愛燦燦」と記憶に残る曲をあげるだけでも、数限りなくあるが、昭和が平成と元号が変わった時に歌った、「川の流れのように」が絶唱となった。まさに昭和とともに生き、昭和とともに逝った大歌手である。
彼女を偲びつつ、同時代の昭和の歌謡曲を振り返ってみたい。
川の流れのように/愛燦燦
幾つかあるバージョンのうちの、比較的良くない方のバージョンかな?と思っている人は、御安心下さい。一番いいバージョンです。バッキングに変なエレクトロ音源の嫌らしさが、まさか混入していないだろうな?と心配している人へ、心配御無用です。以上
詩を読んだだけで、涙がでました。
こんなものではない! ひばりさんが、病に冒された後に歌われた「川の流れのように」は、聴いていて、涙が出てくるような感動がありました。波のように、聴くものの心に押し寄せてくる情感。天才ひばりさんが、生と死を自覚したとき、この名曲は、真の珠玉の名曲になったと思います。少し苦情を言いたい。一度録音したら、あとは知らないというのでは怠慢ではないでしょうか? 書籍でさえ、改訂します。より凄い録音があれば改訂していく努力が、音楽産業への敬愛の情になっていくと思うのですが。
私が物心ついたころには亡くなっていましたが、「川の流れのように」は大好きです。
美空ひばりさんが亡くなられてもう何年も経ちますが、いまだに他のアーティストの方達がカバーしたりして歌われ続けています。私もひばりさんが生きていらっしゃる頃に聞いた時から川の流れのようにはいい曲だと思っていましたが、レコード店で買うのが何となく恥ずかしい気がして買えませんでした。そして愛燦燦が出た時も同じでした。 |
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